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福井県おおい町の小学校です。 日々の様子をお伝えします。

2010年11月2日火曜日

「セイタカアワダチソウ」とかけて「青い目の人形」と解く。その心は…

 今朝の月曜朝礼で子供たちに「なぞかけ」の問題を出しました。「セイタカアワダチソウ」とかけて……。


 佐分利川の土手が見事に黄色です。セイタカアワダチソウです。戦後,外国からやってきたキク科の植物で,とても適応力がすごく,瞬く間に日本各地で増殖しました。今の時期,川の土手はもちろん,空き地や休耕田などで黄色の花を咲かせています。花はとてもきれいなのですが,あまりいい評判がありません。ブタクサと間違われて,花粉アレルギーの元凶のように言われていたことが理由の一つです。でも,それは濡れ衣だそうでセイタカアワダチソウは,アレルギーの原因になることはないようです。

 もう一つの理由は,セイタカアワダチソウは自分さえ良ければいいというジコチュウ(自己中)な植物みたいです。自分の根から化学物質を出して,周りの植物が育たないようにしているのです。だから,あのように増えていくのです。でもその化学物質は諸刃の剣でもあって,出し過ぎて自分たちをも枯らしてしまうこともあるそうです。何事も程々がいいのに,過ぎたるは……です。

 人も,ジコチュウはいけません。人の痛みが分かる,思いやりの心が育っている人が美しいです。ともあれ,今は一面黄色の佐分利川。美しい景色を素直に楽しむのもいいかなという気持ちもどこかにあります。

   黄色の次は青色の話です。昭和2年(今から83年前),日本に「青い目の人形」が贈られました。当時,日本とアメリカが中国(旧満州)の権益をめぐって緊張が高まっていました。そんな中,その緊張を和らげようと,アメリカの宣教師,ギューリック氏が日本の子供に「青い目の人形」を贈ったのです。人形の数は12,739体。その内の一体がこの本郷小学校にも送られていました。本郷小学校の沿革誌には,

「四月二十七日 校長 児童総代○○(名前)ヲ引率シ 福井縣庁ニ出頭 米国ヨリ寄贈ノ人形ヲ受取リ帰ル」,「同 三十日 米国ヨリ親善ノタメ渡来ノ『ジョンソン オーラー』人形ノ歓迎會ヲ開催シ 記念撮影ヲ行フ」

とあります。その後太平洋戦争が始まると,日本に贈られた「青い目の人形」は,敵国のものということで多くが焼却されました。福井県には152体送られていたのですが,すべて処分されたと言われていました。でも,本郷小学校では,処分を忍びなく思った先生たちが人形を図書室で大切に保存していたのでした。現在は,温度や湿度がきちんと管理できる町の郷土資料館に保管してもらっています。このことは先月の福井新聞で報道されました。

 人形にまつわる,日本とアメリカの心温まる話でもあり,戦争がひき起こした悲しい出来事でもある話です。戦争は人形だけでなく,人の優しさも人の命も奪います。子供たちには機会あるごとに戦争は許されないものであり,命の大切さや平和の尊さについて話していきたいものです。

 戦争に関わる勉強は3年の国語「ちいちゃんのかげおくり」,4年の国語「一つの花」で勉強します。また,歴史として6年の社会科でも勉強します。一度教科書を読まれてはいかがですか。

                                           セイタカアワダチソウはアメリカからやってきました。