2010年11月18日木曜日
郡小中学校連合音楽会
今日、小中学校連合音楽会がありました。本校からは、5年生が参加しました。長い間、練習をしてきたかいがあって、始まる前は緊張していた子どもたちも、本番は堂々と歌い切りました。今までで、一番素晴らしい歌声でした。
2010年11月16日火曜日
2010年11月5日金曜日
航空写真撮影がありました!
11月4日(木)に、晴天のもと『航空写真撮影』が行われました。
子ども達はグラウンドに下書きされた”ニコニコ太陽(6年生が考案しました)”の図の白線上に並び、色画用紙を持って人文字を作りました。
撮影用の小型飛行機は、最初、上空1000mを3~4回旋回し、次第に高度を下げて上空200~300mのところから人文字を撮影しました。前回の撮影が2000年でしたので、今回は10年ぶりの撮影となります。
子ども達は、スケールが大き過ぎて、イメージがつかめない様子でしたが、秋晴れの澄んだ青空の下で、赤やオレンジの色画用紙を持って「全員で一つの形を作ったこと」は心に残ったことと思います。
2010年11月2日火曜日
校内マラソン大会
10月29日(金)に、『校内マラソン大会』が行われました。 悪天候で2日も延期になり、待ちに待ったマラソン大会でした。 少し風が強かったものの、マラソンするには、なかなか良い天候でした。
1、2年生は1200m、3、4年生は1600m、そして、5、6年生は2000mを走りました。 昨年までは、校外へ出るコースでしたが、今年は、グラウンドと校舎の周りを周回するコースを走りました。 この日の為に、約2週間、体育の時間や業間に、マラソンの練習をして、順位やタイムをとってきました。 「今日は、練習の時より、順位が上がった!」と喜ぶ児童や、「練習の時より順位が下がった~。。。けど、タイムは速くなった!」と、嬉しさ半分、悔しさ半分で報告し合う児童の姿が見られました。 それぞれ、懸命に頑張った分だけ、嬉しさや悔しさを噛みしめている様子でした。
みんな、お疲れ様でした。 そして、朝早くから応援に駆けつけて下さった御家族の皆様、本当にありがとうございました。
迫力ある6年生の激走!!
応援も精一杯できました!!
「セイタカアワダチソウ」とかけて「青い目の人形」と解く。その心は…
今朝の月曜朝礼で子供たちに「なぞかけ」の問題を出しました。「セイタカアワダチソウ」とかけて……。
佐分利川の土手が見事に黄色です。セイタカアワダチソウです。戦後,外国からやってきたキク科の植物で,とても適応力がすごく,瞬く間に日本各地で増殖しました。今の時期,川の土手はもちろん,空き地や休耕田などで黄色の花を咲かせています。花はとてもきれいなのですが,あまりいい評判がありません。ブタクサと間違われて,花粉アレルギーの元凶のように言われていたことが理由の一つです。でも,それは濡れ衣だそうでセイタカアワダチソウは,アレルギーの原因になることはないようです。
もう一つの理由は,セイタカアワダチソウは自分さえ良ければいいというジコチュウ(自己中)な植物みたいです。自分の根から化学物質を出して,周りの植物が育たないようにしているのです。だから,あのように増えていくのです。でもその化学物質は諸刃の剣でもあって,出し過ぎて自分たちをも枯らしてしまうこともあるそうです。何事も程々がいいのに,過ぎたるは……です。
人も,ジコチュウはいけません。人の痛みが分かる,思いやりの心が育っている人が美しいです。ともあれ,今は一面黄色の佐分利川。美しい景色を素直に楽しむのもいいかなという気持ちもどこかにあります。
黄色の次は青色の話です。昭和2年(今から83年前),日本に「青い目の人形」が贈られました。当時,日本とアメリカが中国(旧満州)の権益をめぐって緊張が高まっていました。そんな中,その緊張を和らげようと,アメリカの宣教師,ギューリック氏が日本の子供に「青い目の人形」を贈ったのです。人形の数は12,739体。その内の一体がこの本郷小学校にも送られていました。本郷小学校の沿革誌には,
「四月二十七日 校長 児童総代○○(名前)ヲ引率シ 福井縣庁ニ出頭 米国ヨリ寄贈ノ人形ヲ受取リ帰ル」,「同 三十日 米国ヨリ親善ノタメ渡来ノ『ジョンソン オーラー』人形ノ歓迎會ヲ開催シ 記念撮影ヲ行フ」
とあります。その後太平洋戦争が始まると,日本に贈られた「青い目の人形」は,敵国のものということで多くが焼却されました。福井県には152体送られていたのですが,すべて処分されたと言われていました。でも,本郷小学校では,処分を忍びなく思った先生たちが人形を図書室で大切に保存していたのでした。現在は,温度や湿度がきちんと管理できる町の郷土資料館に保管してもらっています。このことは先月の福井新聞で報道されました。
人形にまつわる,日本とアメリカの心温まる話でもあり,戦争がひき起こした悲しい出来事でもある話です。戦争は人形だけでなく,人の優しさも人の命も奪います。子供たちには機会あるごとに戦争は許されないものであり,命の大切さや平和の尊さについて話していきたいものです。
戦争に関わる勉強は3年の国語「ちいちゃんのかげおくり」,4年の国語「一つの花」で勉強します。また,歴史として6年の社会科でも勉強します。一度教科書を読まれてはいかがですか。
セイタカアワダチソウはアメリカからやってきました。
佐分利川の土手が見事に黄色です。セイタカアワダチソウです。戦後,外国からやってきたキク科の植物で,とても適応力がすごく,瞬く間に日本各地で増殖しました。今の時期,川の土手はもちろん,空き地や休耕田などで黄色の花を咲かせています。花はとてもきれいなのですが,あまりいい評判がありません。ブタクサと間違われて,花粉アレルギーの元凶のように言われていたことが理由の一つです。でも,それは濡れ衣だそうでセイタカアワダチソウは,アレルギーの原因になることはないようです。
もう一つの理由は,セイタカアワダチソウは自分さえ良ければいいというジコチュウ(自己中)な植物みたいです。自分の根から化学物質を出して,周りの植物が育たないようにしているのです。だから,あのように増えていくのです。でもその化学物質は諸刃の剣でもあって,出し過ぎて自分たちをも枯らしてしまうこともあるそうです。何事も程々がいいのに,過ぎたるは……です。
人も,ジコチュウはいけません。人の痛みが分かる,思いやりの心が育っている人が美しいです。ともあれ,今は一面黄色の佐分利川。美しい景色を素直に楽しむのもいいかなという気持ちもどこかにあります。
黄色の次は青色の話です。昭和2年(今から83年前),日本に「青い目の人形」が贈られました。当時,日本とアメリカが中国(旧満州)の権益をめぐって緊張が高まっていました。そんな中,その緊張を和らげようと,アメリカの宣教師,ギューリック氏が日本の子供に「青い目の人形」を贈ったのです。人形の数は12,739体。その内の一体がこの本郷小学校にも送られていました。本郷小学校の沿革誌には,
「四月二十七日 校長 児童総代○○(名前)ヲ引率シ 福井縣庁ニ出頭 米国ヨリ寄贈ノ人形ヲ受取リ帰ル」,「同 三十日 米国ヨリ親善ノタメ渡来ノ『ジョンソン オーラー』人形ノ歓迎會ヲ開催シ 記念撮影ヲ行フ」
とあります。その後太平洋戦争が始まると,日本に贈られた「青い目の人形」は,敵国のものということで多くが焼却されました。福井県には152体送られていたのですが,すべて処分されたと言われていました。でも,本郷小学校では,処分を忍びなく思った先生たちが人形を図書室で大切に保存していたのでした。現在は,温度や湿度がきちんと管理できる町の郷土資料館に保管してもらっています。このことは先月の福井新聞で報道されました。
人形にまつわる,日本とアメリカの心温まる話でもあり,戦争がひき起こした悲しい出来事でもある話です。戦争は人形だけでなく,人の優しさも人の命も奪います。子供たちには機会あるごとに戦争は許されないものであり,命の大切さや平和の尊さについて話していきたいものです。
戦争に関わる勉強は3年の国語「ちいちゃんのかげおくり」,4年の国語「一つの花」で勉強します。また,歴史として6年の社会科でも勉強します。一度教科書を読まれてはいかがですか。
セイタカアワダチソウはアメリカからやってきました。
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